千葉ロッテマリーンズのドラフト1位・佐々木朗希の近くには、吉井理人投手コーチがいる。
大船渡高校(岩手)時代に最速163キロのストレートを投げ、「日本の宝」とまで言われた大物ルーキーのマリーンズ入団が決まったとき、「吉井コーチがいるなら安心だ」という声が挙がった。誰もが認める名コーチだ。
1983年ドラフト2位で箕島高校(和歌山)から近鉄バファローズに入団。1989年にはリーグ優勝に貢献。1995年に移籍したヤクルトスワローズでもリーグ優勝、日本一を経験している。
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1998年にはニューヨーク・メッツに移籍し、メジャーリーグでは通算32勝をマークした。
引退後には3球団でコーチを務めている。2014年には筑波大学大学院でコーチング理論を学び、選手としての経験、コーチとしての理論、実績ではほかに並ぶ者がいない。
中日ドラゴンズには、吉井とチームメイトだったふたりの投手コーチがいる。ひとりは、近鉄のエースとして8年間で67勝を挙げた阿波野秀幸。もうひとりが、抑えの切り札として通算58勝、139セーブをマークした赤堀元之だ。
かつてパ・リーグに属し、大阪(藤井寺球場、大阪ドーム)を本拠地としていた近鉄バファローズというチームは、いまはもうない。2004年シーズン後に、オリックスに吸収合併され、オリックス・バファローズになった。
吉井と阿波野は1995年にトレードされたが、赤堀はチームがなくなる最後まで近鉄のユニフォームを着続けた。
≪文:元永知宏(もとながともひろ) スポーツライター≫
さまざまな球団でコーチをつとめる近鉄OB
活躍した選手が引退後にその球団で後進の指導に当たることは、野球界では珍しくない。コーチは高い技術を教える専門職だが、貢献した選手の就職支援の意味合いもある。
しかし、古巣をなくした者に行き場はない。縁のない球団に籍を置くためには、コーチとしての力量でアピールする以外に方法はない。
吉井も阿波野も、いまの球団がコーチとして3球団目、赤堀は韓国や独立リーグを含めれば、6球団目だ。
先日発売されたプロ野球選手名鑑を見ると、彼らのほかにも、さまざまな球団でコーチをつとめる近鉄OBがいることがわかる。
真喜志康永(東北楽天ゴールデンイーグルス育成総合コーチ)、光山英和(イーグルス一軍バッテリー兼守備戦略コーチ)、髙村祐(福岡ソフトバンクホークス一軍投手コーチ)、的山哲也(ホークス二軍バッテリーコーチ)、村上隆行(ドラゴンズ一軍打撃コーチ)、門倉健(ドラゴンズ二軍投手コーチ)などの顔がある。
近鉄という球団は、1950年から消滅する2004年までの55年間でリーグ優勝は4回だけ(1979、1980、1989、2001年)。一度も、日本一になることができなかった。
それなのになぜ、近鉄OBは重宝されるのか。